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授業内容詳細
日本史【五重塔から昔の人々の思いを探る】
作成日 2024年12月

縄文時代から古墳時代へ
森と共に生き、森の神々を敬ってきた縄文の人々を想像しながら、日本の風景「山並み」を描き込んでいきます。
日や雨を注いで稲を実らせる天の神々を敬ってきた弥生の人々を想像しながら、日本の風景「田園」を描き込んでいきます。
食がより豊かに安定し、人の数が増えていく村を想像しながら、竪穴式住居や高床式住居などを描き込んでいきます。
沢山の小国が栄え、それぞれが権益を広げていき、やがて各地に戦が起きるようになります。
住居から煙が立ち上り始めます。

森と自然を大切に扱うことを教えてくれた古来の神々。
それで人と自然との関係は平和に保てたけれど、森の神々は人と人との関係を豊かにしてくれることまでは教えてくれなかったのでしょうか…。
飛鳥時代へ
バラバラな日本に「和」をもたらすべく、外来の思想を取り入れようとした聖徳太子。人と人との関係を豊かにするための法を制定し、寺院を建て、そして仏舎利が初めて日本の地に納められました。

そしてその上に仏塔(五重塔)を建てようと試みたのです。
しかし、彼らは中国大陸の仏塔をそのまま真似たわけではありませんでした。中国大陸のどの仏塔にも存在しないあるものを五重塔に据えたのです。
樹齢2千年を超える数本の檜を山から切り出し、川で運び、整形し、一つに組み上げて一本の「心柱」を造り上げ、それを五重塔の中心に据えたのです。

平和への道のり
戦の煙が立ち上った地に五重塔を描き込んだ後、ここからは色を使って描いていきます。子ども達各々が想像する「平和な世界」を表現していきました。



五重塔からのメッセ-ジ
本来、柱とは建物を支える存在ですが、心柱は塔本体の骨組みから独立しています。
その理由として、地震の際の塔の横揺れを緩和するための免震的仕組みとして語られることが多いですが、合理的観点を重視する現代社会の私達にとっては納得のいく理由だと思います。
もちろんそれも一つの理由だったのかもしれませんが、当時の人々は私たちが想像する以上に精神的観点から物事を観ていました。
国の繁栄や疫病を鎮めるために、皆が総出で大仏殿を建てたり、ピラミッドを作ったりするのですから。
しかし、現代の私たちにとってそれらは「効果的でない、無駄なこと」であり、試みようとは思わないでしょう。
心柱は無くても塔自体は立つことができるのに、わざわざ森から大木を持って来て据えるのですから、よほどの理由があったのでしょう。
樹齢二千年を超える檜は、当時の人々にとっても今日の日本人にとっても神々が宿る特別な存在です。
それを仏舎利の真上に、塔の中心に据えた意味とは何だったのでしょうか…。


古来より続く森の信仰を守ろうとする物部氏と、新しい仏の信仰を取り入れようとする蘇我氏との対立は、 やがて戦へと発展しました。しかし、戦に勝利した蘇我氏と聖徳太子、そしてその後の人々は、古き森の価値観を否定し、捨て去ったのではありません。世界の多くの地では、新しい価値観の導入が古き価値観の否定と衰退を招いてきましたが、日本ではそのようなことは起こらなかったのです。

当時の人々が心柱をどの様な気持ちで据えたのか、その真相は分かりませんが、今もしっかりと立ち続けている五重塔を眺めていると、そこには古きものと新しきものとが静かに融合しているような姿に見えてきます。
もしかしたら当時の人々もそのような思いを込めて塔を建てていたのではないかと思えてきます。
(curiousこども絵画造形クラス 細井信宏)